夏休みの工作。小1の下の子が「木材で動く人形を作る」と言い出しました。テーマも作り方も、完全に自由な宿題です。
今回はほとんど口を出さずにやらせてみようと決めました。計画も、材料の準備も、本人に任せる。……その結果どうなったかというと、途中で「やっぱりできないからやめる」と言い出しました。
ここで悩みました。工作って、親ががっつり関わることが前提の宿題なんだろうか。それとも、やれる子は自分でやるんだろうか。
この記事は、まだ答えが出ていない状態のまま書いています。同じところで迷っている方に、少しでも参考になればと思います。
何が起きたか|「完全に自由」がいちばん難しい

作ろうとしていたのは、木材で動く人形。キットではなく、ゼロから考えるタイプです。
やってみて分かったのは、「自由」がいちばん難しいということでした。
- どう動かすのか(仕組みを考える)
- どんな材料がいるのか(考えて、買いに行く)
- どの順番で作るのか(工程を組む)
大人でも、この3つを最初に整理せずに手を動かしたら詰まります。小1に「全部自分で考えてやりなさい」は、正直かなりハードルが高い——これが率直な実感です。
「やめる」と言われて、私が言ったこと
本人が投げ出しかけたとき、私はこう伝えました。
「もう少し事前の準備——設計とか、材料を用意するとか——に力を入れないと、難しいよ」
作業を代わってあげるのでも、「がんばれ」と精神論で押すのでもなく、うまくいかない理由を具体的に伝える形にしました。
これが正解かどうかは分かりません。ただ、「できない」の原因が本人の能力ではなく、段取りにあると伝えたかったんです。手を出しすぎず、でも放置もしない。そのつもりでした。
姉妹2人とも同じでした|これは「うちの子」の問題ではない
ここが今回いちばんの気づきです。
上の子(9歳)も、同じ学年のころ、まったく同じでした。工作も自由研究も読書感想文も、自分から進んでやったことはほとんどありません。親が背中を押して、押して、押しまくって、やっと動く——ずっとそんな感じです。
つまり、「うちの下の子ができない」わけでも、「その学年だから」でもない。2人ともそうだったなら、これは子どもの問題ではなく、宿題の性質の問題ではないかと思うようになりました。
選択制の宿題は、そもそも「意欲」が前提になっている
ドリルや漢字の練習と、工作・自由研究・読書感想文は、性質がまったく違います。
- ドリル系:やることが決まっている。手を動かせば終わる
- 選択制の宿題:何をやるかを自分で決めるところから始まる
後者は、「やりたいことがある」状態が出発点です。逆に言えば、意欲がない状態からスタートすると、そもそも成立しない。
そして選択制の宿題は、出来ばえだけでなく「どれだけ主体的に取り組んだか」も見られていると感じます。だからこそ親は「やる気を出させなきゃ」と焦る。親が関与せざるを得ない構造になっているのだと思います。
宿題全体の段取りは夏休みの工作・宿題をどう乗り切るかに書きましたが、あの記事で書いた「親の段取りが9割」の”もう半分”が、この意欲の問題だったのだと、今回あらためて思いました。
それでも悩ましい|手を出しすぎると、やる気を奪う

とはいえ、親がやってしまえば早いのも事実です。設計を考え、材料をそろえ、難しいところは手伝う。そうすれば完成します。
でも、それをやると——子どもは「自分でやった」と思えません。次にまた同じことが起きたとき、最初から親を当てにするようになる。手を出しすぎることが、いちばんやる気を削ぐ気がしています。
かといって完全に任せると、今回のように止まる。この中間のさじ加減が、本当に難しい。
いまのところ、わが家が置いている線はこのあたりです。
- 作業そのものは代わらない(手は動かさない)
- 詰まっている理由は言葉にして伝える(「準備が足りない」など)
- 道具や材料の調達は手伝う(子どもだけでは買いに行けない)
- 「やめる」を簡単に許さない(でも怒らない)
正直、これで合っているのか分かりません。いまも続行させようとしている最中です。
まとめ|答えは出ていません
- 完全に自由な工作は、「何を作るか・どう作るか・何がいるか」を決めるところが最難関
- 投げ出しかけたら、作業を代わるのではなく「詰まっている理由」を伝える
- 姉妹2人とも、押されないと動かなかった——子どもの問題ではなく宿題の性質
- 選択制の宿題は、意欲が前提。だから親が関与せざるを得ない
- 手を出しすぎると、やる気を奪う。この中間が難しい
もし「うちの子、自分でやらないんだけど…」と思っている方がいたら、たぶん、みんなそうです。少なくともわが家は2人ともそうでした。
この工作が最終的にどうなったかは、決着したらこの記事に追記します。


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