「お昼に食べたお弁当箱、シンクまで持ってきて」——何度言っても、下の子は動きませんでした。
怒り半分で自分で取りに行き、ついでに「じゃあ、洗い物して」と言ってみたら、返ってきたのは「やるー」。あっさりでした。
どう考えても、洗い物のほうが面倒なはずです。運ぶだけの作業より、明らかに手間がかかります。それなのに、後者だけ動いた。
共働きで、小学生の娘が2人います。この日わかったのは、子どもは「面倒だから」動かないわけではないということでした。そして正直に言うと、問題があったのは子どもではなく、わたしの頼み方のほうだったと思っています。
この記事では、わが家で実際に起きたことと、そこから見えた「動くこと」と「動かないこと」の分かれ目を書きます。⚠️先に言っておくと、これで解決しました、という話ではありません。
「持ってきて」は動かないのに、「洗って」は動いた
その日は、わたしが在宅で仕事をしていました。何度声をかけても弁当箱は運ばれてこないので、あきらめて自分で取りに行きました。正直、少しイラッとしていました。
その流れで、なかば投げやりに「じゃあ、洗い物して」と言ってみたら、ふつうに立ち上がって、シンクに向かいました。
結果は、まあまあでした。まわりは水でびちゃびちゃです。それでも、本人なりに丁寧に洗っていました。スポンジの持ち方も、すすぎ方も、こちらが思っていたより真面目でした。
わたしがやったのはお礼を言って、褒めたことだけです。⚠️洗い直しはしませんでした。正直、手を出したくなりましたが、そこでやり直したら「結局ダメだったんだ」と伝わってしまう気がして、やめておきました。
面倒さの問題では、なかった
あとから考えると、2つの頼み方には、はっきりした違いがありました。
- 「持ってきて」=作業の指示。言われたことを、そのままやるだけ
- 「洗い物して」=任せる。やり方も仕上がりも、本人にゆだねられている
大変さで言えば、後者のほうが圧倒的に上です。それでも動いたということは、子どもが反応しているのは「作業量」ではなく「任されたかどうか」なのだと思います。
動くことと、動かないことが、きれいに分かれていた

そう思って振り返ると、わが家の「動く/動かない」は、驚くほどはっきり分かれていました。
- ⭕️動いた:食器を洗う/料理を手伝う
- ❌動かない:脱いだ服を洗濯機に入れる/出した本やおもちゃを片づける
🔑並べてみて気づいたのは、これです。
- 動くのは「新しくできるようになること」
- 動かないのは「自分の後始末」
前者はできることが増える体験で、後者はただ元に戻す作業です。子どもにとって、この2つはまったく別物なのだと思います。
⚠️そして世の中で「お手伝い」と呼ばれているものには、この2つが混ざっています。うまくいかないと感じるとき、実は後始末のほうばかり頼んでいるのかもしれません。
上の子は、包丁で野菜を切りたがった
上の子が同じくらいの年齢だったころ、料理を手伝いたがった時期がありました。子ども用の包丁を渡すと、嬉しそうに材料を切っていました。※刃物なので、大人がそばで見ている前提です。
あれも「手伝ってくれた」というより、「やらせてもらえた」のが嬉しかったのだと思います。道具を渡すことが、そのまま「任せる」の合図になっていました。
ちなみに洗濯たたみや部屋の掃除も頼んだことはありますが、そちらは一時的なお手伝いで終わりました。ここでも、同じ線引きが効いている気がします。
いちばんの問題は、わが家が「任せて」いなかったこと

ここからは、自分の反省です。
わが家のいつものパターンは、「やって」と言って、ダメなら自分でやってしまうでした。共働きだと、待っている時間が惜しいんです。自分がやったほうが、確実に早い。
でも、これを繰り返すと、子どもの側からはこう見えているはずです。
「言われても、どうせ最後は親がやる」
そう学習していたら、動かないのは当たり前です。⚠️子どもの性格の問題ではなく、家の中の仕組みの問題でした。
しかも今回うまくいったのは、たまたま順番が逆になったからだと思っています。わたしが先に弁当箱を取りに行ってしまったので、「親がやる」がすでに終わった状態で「じゃあ洗って」と渡すことになった。意図してやったわけではありません。
お小遣いは、渡していません
お手伝いにお金を渡すかどうかは、迷っています。わが家は最近、お礼を言うだけです。
報酬にすると、「もらえないならやらない」になっている部分がありました。⚠️ただ、これが正解だと思っているわけでもありません。金額を決めて仕組みにしたほうが続く、という家庭もあると思います。
お金の渡し方については、別の記事でも考えたことがあります。→ 子どもの夏祭りのお小遣いはいくら?わが家のルール
その後、どうなったか(正直に書きます)
気持ちのいい終わり方をしたいところですが、そうはなっていません。
あの日以降、洗い物はたまにやってくれます。でも「役割」にはなっていません。頼めばやることもあるし、やらないこともある。相変わらず、服は洗濯機に入りません。
つまり「洗って」は魔法の言葉ではなかったということです。一度うまくいったからといって、家の中の仕組みが変わるわけではありませんでした。
それでも、やらせてみると、思っていたよりちゃんとやる——これが分かったのは大きかったです。わたしが勝手に「まだ無理だろう」と決めていただけでした。
これから試してみようと思っていること
- 「やって」でなく「これは任せた」と言ってみる(作業でなく担当として渡す)
- 先に自分でやってしまわない。待つ時間を、あらかじめ見込んでおく
- 「後始末」と「お手伝い」を分けて考える。片づけが進まないのは、たぶん別の問題
- やり直さない。びちゃびちゃでも、そのままにする
とくに2つ目が、共働きにはいちばん難しいところだと思っています。待てないから、任せられない。ここを変えないと、たぶん何度でも同じことになります。
ちなみに習い事でも、同じことが起きました。ふだんは何をするにも受け身の上の子が、自分から「行きたい」と言い出したとき、家での動きまで変わりました。→ 体を動かすのが苦手な子が、自分から「行きたい」と言った|小学生の習い事
まとめ
- 「持ってきて」は動かなかったのに、「洗い物して」は動いた
- 反応しているのは作業量ではなく「任されたかどうか」
- 動くのは「新しくできるようになること」、動かないのは「自分の後始末」
- 「やって」→ダメなら親がやる、を繰り返すと「どうせ親がやる」と学習される
- わが家はお小遣いを渡していない(正解かどうかは分からない)
- ⚠️その後は「たまにやる」程度。役割にはなっていない
うまくいった話ではありませんが、やらせてみる価値はあると思えた出来事でした。同じように「何度言ってもやってくれない」と感じている方の、少しでも参考になればうれしいです。



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